日暮れ、道遠し

つくばで日本語教育をやっている大学院生の、見たこと聞いたこと考えたことなどについて。

日記(2020年2月10日)

日記をつけてみることにした。

 

2/10(月)

午後にアルバイトに行く以外の用事はない日。やることはある。7時に起きて、起きるつもりだったが2度寝。そこそこの強度の悪夢を見て8時過ぎに陰鬱な気分で目を覚ます。落ち込んでいたらそのまま寝てしまい、10時に起きる。

陽光がカーテンにぶつかっているのを感じる。ぎりぎり暖房をつけなくてもいいかな、となるくらいの温度。

課題・頼まれごと・メール・etc.を片付けていくうちに時間が削れていく。合わせて2月3月の予定の整理をしていたが、いよいよ脳みその容量を超えてきそうだったので脳内からカレンダーに情報を移す。カレンダーは母親の手作り。1月分は日の目を見ることがなかった。もうしわけない。

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大学へ。授業にお邪魔して実習させてもらう、という実習をやっていたのだが、担当したクラスの学生が学期末に先生方にプレゼントを配ったそうで、自分の分もあったらしい。実習担当の先生が預かってくれたものを受け取りに行く。嬉しい。

バイト先へ。車では携帯から音楽・ラジオを流しているが、今日は携帯を家に忘れてきたので音楽の代わりにTVをつける。再放送で『科捜研の女』。午後の車でドラマの再放送というのは実家で母親と出かける時のスタイル。懐かしいとも違う、なんだか「こなれた」感覚になる。

バイト先。合間に『日本語教育の過去・現在・未来 第3巻 「教室」』(2009年、凡人社)を読む。小林ミナ「教室活動と『リアリティー』」が面白かった。「いちおしのロールプレイ」の話。自分ではいい感じで、学習者のやってる様子もいい感じなんだけど、引いて見るとツッコミどころは盛りだくさんというもの。なまじ学習者が楽しそうだからいいじゃん、と見えにくくなる、というか問題点を見たくなくなるのはなんとなくわかる。とはいえ結局はそこを超えていくのが本当に「学習者のため」だよね……と、最近の自分の授業実習を思い返してしまう。

あとがきの「30年後の日本語教育」という表現に勝手にエモくなってしまったが、刊行は2009年。もう10年以上経っている。あと20年経つ頃にこれを読んだらどういう感想を抱くんだろう。変わってることを望む。

 

帰って晩ごはん。塩焼きそば。課題をすすめて、日付が変わる前に寝る。つもりだった。課題が間延びして結局12時過ぎ。