日暮れ、道遠し

つくばで日本語教育をやっている大学院生の、見たこと聞いたこと考えたことなどについて。

ろんせん、成らず+振り返り

こちらの記事。

higureyasan.hatenablog.jp

 

ダメでした。ざんねん。

厳密にダメだったと言うよりは、途中で記録をつけていくのが面倒になって立ち消えてしまったというのが正直なところです。ちゃんちゃん。実のところ、年の中ごろには「これちょっとダメかもなあ」というのを思っていました。

きちっとスプレッドシートで著者・発行年・タイトル・掲載誌情報・感想・誤字脱字の有無など丁寧につけていこうとしたのが間違いでした。もりもり読むぞ! はいいとして、もりもり記録つけるぞ! は(ケツイを決めたはずの)自分には合いませんでした。色々ぐわーっと読んでも、それを振り返って記していく、というのがどうにもダメで、一度記録が飛ぶとその後も似たようにずる、ずる、と……。途中でシンプルスタイルの記録に変えたんですが、それはそれで、はじめからやっていたフォーマットが崩れてしまったことで糸が切れた感覚があり。「著者名と発行年と感想だけにする」とか、「『よんだマーク』を物理的なノートにつけていくスタイルにする」とか「読んだ論文をフォルダに突っ込むだけにする」とか、徹底的に手間を減らすべきでした。読むには読んでもその記録が億劫になり、「ちゃんとできてないなあ」という気持ちだけが澱として溜まっていくというよくないスパイラルに陥っていたのでした。

あと、1000本のためにはあらゆるところからあらゆる論文を引っ張ってこなければいけないんですが、そんなふうにあらゆる論文をごりごり読むぞ(そしてそれをきちんと記録するぞ)! というのは修士の頃とかせめてD1の頃がよかったですね。色々と方向性が定まってきて自分のアウトプットに軸足を移すべき(インプットの重要性は否定しませんが)D2にやることではなかった……。実際、なんでもありのインプットの前に自分のこしらえるものやその準備のための作業があって、それに関連するものをあらためて時間かけて読む、というのに結構時間を取られていた、というのもありました。それでも色々読まないと! という発破がけにはよかったし、実際なんとかかき集めて読もうとした分、平常通りの自分の研究やぼんやりとした興味関心の赴くままだと手は出さなかっただろうものにも手を出せてそれはそれでよかったのですが。しかしどこかで「記録付け」がプレッシャーというかストレスになっていたなーという感覚もまたあります。

SNSなどで意気軒昂にやっている人間がみんながみんな華麗に目標達成してゆくばかりではないのだ、という、なんとも不名誉な表象になってしまいました。

リベンジこそしませんが、上に書いたように「意識して色々読もう! としてみるのは結構(どころかかなり)いい」ということは身に沁みてよくわかりました。偶然にも読んだ論文に関連した話を振られたり耳や目にして、「そういう研究ありますよ~」と応じる機会も一度や二度ならずありました。ふと目にした学会発表の内容に「そういう論文あったなあ」と感じられる機会もあったりと、間違いなく自分の感覚が磨かれた気はします。これからも、明確な対外的目標こそ立てないものの、意識的に目を広める努力はしていきたいですね。

というわけで22年の一大目標はなんだか残念な感じに終わってしまいました。来年は「身の程を知り、身の程を伸ばす」あたりの目標がいいのかな、など考えています。個人を超えて世界的にも騒がしく哀しい年でしたが、来年は誰にとってもマシな年になりますように……。