日暮れ、道遠し

つくばで日本語教育をやっている大学院生の、見たこと聞いたこと考えたことなどについて。

《第24回 日本語教師チャット》を振り返ってみる

松江からあっという間に1ヶ月。
大学院も授業が一段落し、つかのまの冬休み……と言いたいところだけど、期末レポートがどさどさっとあり、平穏な年越しになるかどうかはここ数日次第。とはいえ色々順調なので、心の余裕は、まだある。

さて、日本語教育学会秋季大会@松江と同じ頃に行われた第24回日本語教師チャット。自分もほんのり遅れて参加したのですが、リアルタイムの参加は叶わなかったため皆さんの反応はあまり見られず。そんなわけでtogetterまとめ(作成ありがとうございます)を眺めながら自分の回答を中心に感想を出してみよう、というのが今回の記事の趣旨です。はじまりはじまり

Q1:自己紹介。割愛。

Q2:あなたが思う日本語教師に必要な能力は何ですか。また、その理由も教えて下さい。

自分の答え:

  A2:これ本当にわからないですね。少し前の自分なら「教える人」としての能力について語ってたと思うんだけど、今は分からなくなっています。知識があることも大事、でもそれが先生となるための条件とは思えない……学習者の頭、知識をブン回してあげられるような存在……?前回(でしたっけ)の「宿題について」にも関わる話かとは思うんですが、教室の、教師の意義とは……?という話にもなりますよね。ゆるっとした言い方になるけど、「学習者だけでは届かないところに届くよう手助けをする存在」が、自分の理想とする教師かな……(?)じゃあそのために必要な「能力」となると……?学習者の現状を見極め、目指すゴールとのギャップを見極め、適切なサポートができる能力……?そもそものゴール設定ができることもおそらく必要になるかとは思いますが。このあたりの言語化は、まだまだ課題だなあ

ながい。3ツイート分ありました。ちなみに前回はこちら

ごちゃごちゃ書いてるんですが、これって結局自分の中で、自分がなろうとしている「日本語教師」がよく分からないからなんですよね。どこで?誰に?どう教えてる?というのが分からなくて。結局学習者それぞれが日本語を使っていくことの手助けになること、というのがどうあっても目指される姿だろう、というのが今の所のゆるふわっとした結論です。

みなさんの答えも違いは色々。「日本語教師」で何を想像してるのかってのが意識/無意識的に異なっているんだろうな、というところで出ているような違いもありました。「じゃあここで出てきたこと全部身につければいいんだね?」というとなんか違うような気もしてしまう。順序付けの問題ってだけでしょうか(いやこれは別になくても……的な答えも、ないではなかった)。あと、あんまり重箱の隅みたいなのも我ながら嫌だなあと思うんですが、それは「能力」?「性格」?「やること」?と、それぞれの問いの捉え方も様々だなあと感じるものもありました。

Q3:あなたが思う理想の日本語教師とは、どんな人ですか。

自分の答え:

A3:先に書いたことにカブるけど、言い換えれば「学習者をうまく、気持ちよくノせられる人」とかかなあ。特に今の時代、教師って別に絶対必要な存在ってわけではないだろうし。いるとありがたい存在として存在感を出したい……。

「いるとありがたい」っていうとなんかただの便利屋っぽいですよね。でも、それでいいのかなー、とも。書いたように知識は溢れてる時代なんだし、その上で「あなた(学習者)にとって価値がある人」でいたい。

「うまく、気持ちよくノせられる人」ってなんだよそれって感じですが、自分が今まで色々なところで授業見学してきて「いいなあ」って感じた先生って、教え方がうまいと言うよりは学習者との関わり方がうまいって印象だったんですよね。リズム天国……じゃないけど。なんだろう。

みなさんの答えでも、「日本語の知識を伝える(教える)うまさ」みたいなことに言及されてる方ももちろんいるけど、でも「学習者目線」とか「寄り添う」とかそういう方も結構多いですね(多分、半分以上?)やっぱり「目の前の学習者ひとりひとり」があっての教師、という意識は共有されてるのかな。ごちゃごちゃと書きましたが、やっぱりもう「教えること」は目的ではないよな、と思います。

Q4:Q/A2、Q/A3のためにあなたはどんな努力をされてきましたか。また、どんなことを大切にされてきましたか。

自分の答え:

A4:「学習者をよく見ること」に尽きるかな?じゃあこの人には何が要るんだ、何は要らないんだ、というのをしっかり見極めるために。教師としての振る舞い、実際に教室で何をするか、どういう知識をどう活かしていくか、その辺りはそのあとで来るかな……とか。

 

「大切にしてきた」ことというか、もう実践で掴みたいってことですね。他のみなさんも、準備というか何を実践している、という方が多い印象。

もちろん、日本語、第二言語教育/習得、日本語教育等々にまつわる知識をつけることを否定するものではありません。それは両輪みたいなもので、実際に身についた知識がなければ学習者へのはたらきかけもうまくいかない(なんとなくでうまくいくこともあるだろうけど、そういうビギナーズラックみたいなもの狙いでいちゃダメだという思いが、「プロフェッショナルであること」なのかなとも思います)。ただ、知識があるだけでもダメで、結局それをどう運用していこう、という視点も、現場を目指す人間なら必要なのかな、と思います(じゃあ現場の経験がない学生はダメか?!というと、そういうことが言いたいわけでもない)。

なんだかんだ言って、最終的に大事なのは実際に相対する学習者だと考えている、それゆえのA4の答えでした。そりゃあ、どんなものだってあるに越したことはないですよね。

Q5:10年後はどんな人になっていたいですか。

自分の答え:

A5:わっかんないですねー。日本語教育って分野には何らかの形で関わっていたい、くらいのことは思うけど。むしろ今思いつかないようなものでいる方が面白い……ってこれは何をしているか、か。どんな人……大きく変わっていたいとは思わないが、引き出しが大きく深くなっていたらいいかなあ。

10年ですよ10年。10年前って、15~16歳。高1。スマホもなく、パスポートを持ったこともなく、「日本語教師」なんて職業を意識したこともなく、進路だって「ブンケーだしブンガクブだろう」とかそんなレベル。10年前の自分に「こうなってるよ」と伝えられたら……どうなんだろう。ポジティヴにびっくりしてくれるとは思うけど。

15歳→25歳の10年と25歳→35歳の10年は色々違うだろうとも思わないではないが。「日本語教育に関わってはいたい」と思えているのは成長でしょうか。出会う人は増えているだろうから、「あーひぐれさんね」で笑顔なりポジティヴな感想だったりが出てくるようになっていたらいいかなあ、とは思うけどそれは別に10年後じゃなくて今以降いつだってって話ですね。今知らないことをたくさん知っていて、そんでお金もちゃんともらえていればハッピーかなあ。博士号を取っていたりするのかな。

Q6:将来、日本語教育はどのようになっていてほしいですか。

自分の答え:

A6:推進法の成立が、業界全体の追い風になればとは思うのですが、どうなるやら。何目線で答えたらいいんだろう、これは笑 もちろん学習者がたくさんいるというのは望ましいわけですが、それに業界としてどういう風に応えていけるのか……などはまだまだ考える余地があるかなあ。

いきなり推進法の話から入るとか真面目だな、と思ったんですがこれは学会でそういう話を聞いたからですね。ちょろい。しかしゆるふわっとした答えだなー。

ひとつ思うのはやっぱり学習の多様化を認めた上で、先んじて対応できているような空気になったら……まだどこか「教室活動があり、個人レッスンはそれから外れた珍しいもの」という空気があるような気がします。自分の視野が狭いだけかなとも思いますが。教室活動を否定したいわけではない。それだって、個人個人の学びをいい具合にブーストさせられる中身であればいいじゃんと思います。多様であり、フラットであること。かなあ。

この業界ほど(学習者の)多様性についてはめちゃくちゃに知見が溜まっているところもないはずなんだから、何がどう多様化したところで怖いものはないはずなのですが……と言うと「お前は何を言っているんだ」って感じでしょうか。

「先生と学習者」の付き合いだけじゃないよね、とも。「勉強をしたい(日本語について知りたい)人と、それを支える人」がいて、そしてその付き合いの形も多様に……なんて。

あとは、大学で日本語教育について勉強した学生が、そのまま居たいと思えるような業界になったらいいかなーって……結局どうなんでしょう、いろいろな人が答えてくださっているようにお金の問題なのでしょうか。社会的認知の話?きちんとした需要と供給のバランス、ということをおっしゃっている方もいるようですが、ほんとそうだと思う。

まとめ

なんだか、自分で答えを読み返したりあらためていろいろ考えてはみたんですが、夢見心地くさい。でも、そういうのを一旦まとめておくのも大事なんだよなあとも、思う。

夢回答の理由はひとえに「わからないから」だと思います。自分のことも、業界のことも。少し前まではぼんやりとした「先生像」みたいなのがあって、所属はどうあれ「こんな風になればいい」というのがあった。今は、上述したとおり「すごい先生たち」に会ってそれはある意味で指標なんですが、ある意味でパーソナリティレベルの話であって、仕事しては?という問いを突きつけられるとウッとなってしまう。

10年ひと昔なんて話もしたけど、本当に色々変わってる。自分も社会も。業界の模様も変わり(変わる前後をきちんと概観できている気もしないけど)、学習者も変わり、様々な環境も変わり(今時誰が日本語なんて勉強するんだという考えは自分の中でベースになっている気がする)、その中で出来上がってしまった自分の理想もあり。

おそらくそうやって理想と現実と言うか、現実の中での自分自身の落とし所がよく分からなくなってるってのは僕だけじゃないんだろうとは思います。だからこそ、こうやって日本語教師チャットで色々な方の意見が見られると、安心するし、啓ける感覚まである。本当にいい機会です。ありがとうございます。

なんか、自分語り多めになってしまいましたが今回はここまで。日本語教師チャット以外にも、色々な方と色々なお話ができたらなあと思います。