日暮れ、道遠し

つくばで日本語教育をやっている大学院生の、見たこと聞いたこと考えたことなどについて。

「手足まとい」でもOK……でしょうか?

最近、社会人相手のレッスンもやっています。

その中で出てきたのが「手足まとい」という言葉。仕事の付き合いがある人に送ったメールをチェックしてください~と言われて見ていたら書いてありました。

いつもなら軽く辞書なりネットなりで確認してからリアクションを返すんですが、今回はさらりと「これは『足手まとい』ですね~」と返しました。なるほどこういう誤用もあるんだな~など思いつつ。

と思っていたらそれに帰ってきたコメントが

「『手足まとい』も辞書で見たんですけどダメなんでしょうか?」

 

?!

 

丁寧にweb辞書のURLも教えていただいたので確認しました。

てあし‐まとい〔‐まとひ〕【手足×纏い】 の解説
「足手 (あして) 纏い」に同じ。

「何かにつけて―になって」〈白鳥・牛部屋の臭ひ〉- goo辞書

 手足纏い(てあしまとい)の意味 - goo国語辞書

 

なんとまあ。

母語話者の感覚というのは確かに強いけれど、万能ではないということを改めて思い知らされたできごとでした。

 

……

 

 

と、ここで終わったら「そそっかしいひぐれさんエピソード」なんですが。

では「『手足まとい』もありましたか~すいませんw辞書に載ってるならそれでもOKです!」でいいんでしょうか。どうでしょうか。

実際に学習者(ネイティヴではないかなという人)が「手足まとい」という語を使ったら、周りの日本語母語話者からどういう反応を受けるでしょうか。「へえそういう言い方もあるんだ~」と好意的に受け取ってくれるでしょうか。それとも上に挙げたひぐれさんのように「それは『足手まとい』ですよ~」と訂正してくれるでしょうか。

こればかりは分かりません。むろん、「手足まとい」のバリエーションをご存じの方も少なからずいらっしゃることでしょう。ただ、「『足手まとい』の方が一般的に使われているだろう」という感覚は概ね共有されているのではないでしょうか。

ちなみにBCCWJで検索をかけたところ、「足手」+「まとい」で76件、「手足」+「まとい」で1件(98年国会会議録)でした。

 

さて、日本語教育などにあんまり関わりのない日本語母語話者が、非母語話者の使う、存在はしているがほとんど聞く機会はない「手足まとい」を聞いたら。やっぱり、「〇〇さん、それは『足手まとい』だよw」となるのではないでしょうか。というか、そういう指摘を直接する人もそんなにいないのでは。「あ~『足手まとい』って書きたかったけど間違えちゃったんだな」と、特に表立って指摘はされず、終わり。

 

はじめに挙げた方が「できるだけ、『非母語話者だもんね仕方ないよね』と思われないようになりたい」と思ってらっしゃる方だから自分もそういうマインド強めになっているのかもしれません。

ただ、誰か(学習者)が日本語を使って人間関係を作ったり、保ったり、深めたりしてゆく、そのためのサポーターとして存在する、というのは今の”日本語教師”のあり方として1つ、あるのではないでしょうか。そしてその中では、「辞書的に正しい(と言える)からいいか!」だけではなく、教えた/取り上げた日本語がどのように使われ、周りの母語話者(だけではないけど)の中でどのような反応を生む可能性があるか、そこまで考えていかなければいけないのではないでしょうか。

 

「手足まとい」を知らなかった人間の必死の言い訳と言ってしまえばそれまでですが。それでも、「正しさ」よりも「この社会の中でのどのような言語使用に結びついてゆくのか」というのも大事なんじゃないの、というおはなしでした。おしまい。