日暮れ、道遠し

つくばで日本語教育をやっている大学院生の、見たこと聞いたこと考えたことなどについて。

教科の日本語、説明だけが問題じゃない(みたい)

最近中学生の数学を見てあげる機会が多い。

日本語非ネイティブ、もしくは日本語から離れていた児童生徒にとっての教科学習の中での日本語の難しさというものは本なり論文なり学会発表なりで触れてはいたけれど、実際に支援の現場にいると、様々な難しさが見えてくる。

気付いたことの1つ。どうやらそもそもの概念の説明だけが問題じゃないらしい。

たとえば、中1の「文字式」。100x+200y=3000とか、そういうやつ。

「文字と数字で表した式のこと」という説明の時点で「??」となるだろうことは、まあ、分かる。加えて「文字と数字のかけ算の場合は”×”(かける)を省く」(3×xではなく、3xと書く)とか、そういうルールの説明が日本語として難しいんだろうなということまでくらいは、多分すぐ誰でもピンとくると思う。おそらく母語話者でもみんながみんなすぐ分かるということはないだろう。

ただ、非ネイティブだったり、日本語に馴染みのない生徒にとってはどうやらそれだけじゃなさそうだということに気付いた。

とあるワークブック。基礎の説明のところを「たしかにこの日本語難しいよなあ」と感じつつ、適宜説明をしながら進める。自分が見ている生徒は大体はわかっている人なので、あらためて口頭で確認するくらいで済む。

それでは実践、と、その先の基礎練習・実践練習・発展練習の問題に進むと、そんなに単純な話ではないことが分かった。

 

150円のノートをx冊買った時の代金を文字式に表しなさい。

 

底辺xcm、高さycmの三角形の面積を文字式に表しなさい。

 

時速xkmでy分進んだ時の距離を文字式に表しなさい。

 

ある美術館の大人ひとりの入場料は1500円、子供ひとりの入場料は600円です。大人と子供合計18人でその美術館を訪れたところ、入場料の合計は13500円でした。美術館を訪れた大人と子供それぞれの人数を求めなさい。

 

兄が家を出て分速40mで駅に向かい、兄が出発した15分後に忘れ物に気づいた弟が兄を追いかけるために分速140mで家を出ました。弟が兄に追いつくのは弟が家を出て何分後か求めなさい。

 

えとせとら。

これが、同じ単元の中で出てくる。というか、ワークブックの同じ見開きページの中で次々と出てくる。

文字式は色々な場面で使える。未知の変数を文字として置いて、わかる数字からその変数の数値を明らかにすることができる。さまざまな場面を想定した問題が、それを知らしめる練習にいいことはわかる。

このワークブックも、それはもう様々な趣向を凝らして文字式を使う練習をさせてくれる。というか教科書の時点でそういう作りになっている。

それを解く生徒は、問題ごとに問題を読んで、分からなければいけない。

ネイティブにとっても、理解度によっては問題のひとつひとつに「どういうこと?」と一旦立ち止まる必要がある人もいるだろう。というか、それを考えさせる問題だ。みんなが「はいはい」と、さっさと問いてしまうわけではないだろう。いわんやノンネイティブをや。

「代金」?「面積」?「入場料」?「分速」?

自分が見ている生徒は全部にハテナがつくことはないようだが、同じ単元でどれだけの生徒がどれだけのハテナを浮かべていることだろうか。そしてそれは、問題作成者が狙ったところでの停止ではないだろう。

確かに抽象的な概念の言語化(説明)は難しい。ただ、身近な例を含んだ具体的な話になれば分かりやすくなるだろう、というわけでもなさそうだ。もちろんすべての単元がこうなっているわけではないだろうが、とはいえ……。

と、教科学習の日本語の落とし穴のようなものを感じた気がして、ワークブックの見開きを見つめて固まってしまった。